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くしびばこ

外国人から見た日本人

2019-01-17 (Thu) 09:16
「外国人から見た日本人」

どう思うでしょうか?
日本人は。

或る人は
「世界中から愛されている」「尊敬されている」と自信満々で言いました。
(※その人は一度も海外に行ったことがない)

或る人は
「エコノミックアニマルって言われてるらしい」
「カネにがめついイメージ持たれてるんじゃない?」
と言いました。

或る人は
「そもそも、日本て知られてるの?中国の属国だって未だに思ってる人多そうw」
と言いました。


冒頭の人はとにかく自信満々で、
日本はすごく尊敬されている、の一点張りでしたが、
ほとんどの日本人は、
「外国人から見た日本人」
ていうものに対して、漠然と、ネガティブなイメージを多々持っているように思います。

私はそんな自虐的で謙虚な国民性が好きです。

しかし、日本はちゃんと海外から評価されているのです。
それを、あまり日本人は知らない。
(ですよね・・・?)

多分知っても、
「でも日本はこんなに政治的に汚れてるし・・・」
「そんないい国じゃない」
と、
結局 あまり深く受け取りません。

私は、それはそれでいいと思います。
自惚れずに、謙虚であろうとするのは素敵なことだと思います。

あと、日本人はけなされたり、叱られたりするものに対しては目を背けずに
ちゃんと真正面から反省出来るのですが、
褒められると、どうしていいか分からず、目を背けてしまうところがあるように思えます。

批判に対してはすごく強いのに(逃げたり責任転嫁せずに真正面から受け止められる)、
賛美に対しては、すごく弱い(挙動不審になってしまって、オドオド)

それはそれでいいと思います。

えっと

かなり有名なところのようですが、

ぼやきくっくり
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/

というブログサイト様をつい先日発見しました。
外国人から見た日本と日本人シリーズに感銘を受けました。
外国の人の、日本に対する発言、文章をまとめたものです。

いいなと思ったものをピックアップしてご紹介。
とりあえず多いので、いくつかに分ける予定です。

とりあえず第一弾。
↓↓↓↓↓↓
 
アンドレ・ベルソール
フランス人。
1897年(明治30年)12月から翌年8月にかけて日本を旅行した。
小説家、翻訳家、旅行作家、評論家と多面的な活動をしたといわれ、著書「明治日本滞在記」の中では、日本についてもしばしば遠慮のない評言をしている。

「明治日本滞在記」より

私の記憶に誤りがないならば、ラフカディオ・ハーンは心身を備えた生身の神、老いたる農夫を見た。
その農夫は、ある夏の夕方、自分の住んで居る岬から、巨大な津波が押し寄せてくるのに気がついた。
水平線の果てに現れたその大波はみるみる巨大に膨れ上がり、陸地に近づいてきて、村人全部をその波間に呑み込んでしまうかと思われた。
農夫はためらうことなく自分の手で収穫したばかりの稲わらと穀倉に火をつけた。
彼がどんなに叫んでも声の届くはずのない丘の上に、火の手を見つけた村人たちが駆け上がってくるのを願ってのことである。

村人たちが感謝して彼のために建てた寺は、この農夫の家から遠くなかった。
耕している田畑から、彼はそのわらぶきの屋根を、木立ごしに見ていた。
日々の生活の中で、人びとがこの農夫に対して神としての敬意を表していたろうとは私は思わない。
しかし、この土地の子供たちは、いつからかこの人物が神の魂を実際に宿したことを知っていた。

ヨーロッパの人たちが日本の無宗教について語るとき——ある人びとはそのことを嘆き、他の人びとは、もっといけないのだが、それをほめそやすたびに——人びとは肩をすくめずにはいられない。
神がその路上を歩んでおり、その屋根の下に住んでおり、神の誇りとする行為がその存在の目に見える閃光にほかならないと、こんなにも信じている国民を、私はかつて見たことがない。

※有名な「稲むらの火」。明治になってからこの話を聞いた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が著書「A Living God(生き神様)」で全世界にこの話を紹介したため、多くの国の人たちが知っているのだそう(Wikipedia参照)。


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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。
1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。
1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。
その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。

「知られざる日本の面影(日本瞥見記)」より

将来まさに来ようとしている変革が、この国の道義上の衰退をまねくことは避けがたいように思われる。
…西欧諸国を相手にして、産業の上で大きな競争をしなければならないということになれば、けっきょく日本は…あらゆる悪徳を、しぜんに育成していかなければなるまい。

昔の日本が、今よりもどんなに輝かしい、どんなに美しい世界に見えたかを、日本はおもいだすであろう。
古風な忍耐と自己犠牲、むかしの礼節、古い信仰のもつ深い人間的な詩情、――日本は嘆き悔むものがたくさんあるだろう。
日本はこれから多くのものを見て驚くだろうが、同時に残念に思うことも多かろう。
おそらくそのなかで、日本が最も驚くのは古い神々の顔であろう。
なぜなら、その微笑はかつては自分の微笑だったのだから。

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「日本 解明への一試論 Japan An Attempt at Interpretation」より

日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考えて、山川草木湖海風雷から井戸・かまどに至るまで、それらを司る神を想像した。
日本人はこの国土をつくった神々の子孫で、この神々こそ我々の祖先である。
この祖先である神々に奉仕し、この祖先を崇拝することが、我々の最高のつとめであると考えてきた。
神道では他の宗教のように、地獄・極楽を説かない。
日本人はその肉体が終えると同時に、超自然の力を得て、時間空間を超越した霊となって、子孫と国家を護るのである。
この考えのない者は、日本人ではない。


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バジル・ホール・チェンバレン
イギリス人。
1873年(明治6年)~1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。

「日本事物誌1」より

過去半世紀間、この国のいろいろな出来事を充分に知ってきたものは誰でも、ヨーロッパの総てのキリスト教国の中に、日本ほど前非を認めるのが早く、あらゆる文明の技術において教えやすく、外交においては日本ほど率直で穏健であり、戦争に際してはこれほど騎士道的で人道的な国があろうとは、とうてい主張できないのである。
もし少しでも黄禍(※注釈:19世紀半ばから20世紀前半にかけて、アメリカ・ドイツ・カナダ・オーストラリアなど白人国家において、アジア人を蔑視し差別する「黄禍論」が現れた)があるとするならば、ヨーロッパ自身の良き性質にもまさるさらに高度の良き性質を、その新しい競争相手が所有しているからにほかならない。
このように驚くべき成果が生じたのは、日本人が苦境に立たされていることを自覚し、断乎として事態を改善しようと決意し、全国民が二代にわたって熱心に働いてきたからにほかならない。

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「日本事物誌2」より

金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。
ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)社会の隅々まで浸透しているのである。

ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。
アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか――その国土にこそ共和政体のもつ質朴さが存在すると、私たちの父祖達は信じていたが、今や現代となって、私たちはその国を虚飾と奢侈の国と見なすようになった。
それは、かのローマ帝国において、道徳的な衣の糸が弛緩し始めてきたときのローマ人の、あの放縦にのみ比すべきものである。

しかし、日本が私たちを改宗させるのではなくて、私たちが日本を邪道に陥れることになりそうである。
すでに上流階級の衣服、家屋、絵画、生活全体が、西洋との接触によって汚れてきた。
渋みのある美しさと調和をもつ古い伝統を知りたいと思うならば、今では一般大衆の中に求めねばならない。


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キャサリン・サムソン
イギリス人。
外交官の夫と1928年(昭和3年)~1939年(昭和14年)東京で暮らした。

「東京に暮す 1928~1936」より

日本人とイギリス人の基本的な類似点は派手よりは地味を好むこと、静かで落ち着いた態度を好むということです。
そうでないイギリス人もたくさんいますが、私たちが理解し尊敬する性質や行動の基準と、日本人がよいと考えるものはとてもよく似ているのです。

イギリス人が地味な服装を好むということは、イギリス人の性格を考えると納得がいきます。
特に優秀な人は別として、イギリス人は謙虚さを好み、理想とします。
従って自慢とか、謙虚さの無い知識のひけらかしを嫌い、そういう人たちを信用しません。
この傾向は日本人になるともっと強くなります。
だから自慢したり威張ったりする日本人に会うと、私たちの方が驚いてしまいます。

日本人は非常に謙虚な国民で、慎み深い振舞いや言葉遣いがすっかり身についています。
彼らも他の国民のように誇り高いのですが、自慢することを嫌います。
日本人としての誇りを持ち、かつ外国人から学ぼうという謙虚な姿勢のために、日本は今日の世界の中で重要な位置を占めるようになったのです。


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フランク・ロス・マッコイ陸軍少将
リットン調査団のアメリカ代表。

「朝鮮新話」(鎌田沢一郎)(昭和25年発行)より
1932年(昭和7年)に宇垣一成・朝鮮総督に語った言葉


自分は昨夜来東洋における一つの驚異を発見した。
それは、今回の長い旅行における大きい収穫であつた。
同時に、自分の今日までの研究不足をしみじみと愧(は)ぢている。
何であるかといへば、朝鮮に対する全般的な認識の相違である。

吾々は、朝鮮といふ所は、地理的には大体満州の延長であるから、相変らず匪賊(盗賊)が横行し、産業も振るはず、赭土(あかつち)色の禿山の下で、民衆は懶惰(らんだ)の生活を送つてゐるものとばかり思つてゐた。
然るに列車が一度鴨緑江の鉄橋を越ゆるや車窓に隠見する事々物々、皆吾々の予想に反し、見渡す山河は青々として繁茂し、農民は水田に出て、孜々(しし)として耕作に従事し平壌その他工業地帯の煙突は活発に煙を吐き、駅頭に散見する民衆は皆さつぽりした衣服を纏(まと)い、治安はよく維持せられていて何ら不安はなく、民衆は極めて秩序正しく行動し、且つその顔に憂色がなく、満州に比べて実に隔世の観がしたのである。

これはとりもなほさず、貴国の植民政策が妥当であつて、歴代の総督が熱心に徳政を施された結果であることを卒直にお歓びすると同時に、今後における吾々の朝鮮観を根本より改めるであらう。


管理人注釈:
韓国併合の時のですね。

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ダグラス・マッカーサー
アメリカ人。
日本占領連合軍最高司令官。

1951年(昭和26年)5月3日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で行われた証言

日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。
その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。

これほど巨大な労働能力を持つているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。
彼らは工場を建設し、労働力を有していました。
しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。

日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。
その他実に多くの原料が欠如している。
そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。
したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。


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ラダビノード・パール
極東国際軍事裁判のインド代表判事。

1952年(昭和27年)11月、広島高裁での歓迎レセプションにおける発言

わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。
各方面の貴重な資料を集めて研究した。
この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。
それをわたくしは判決文の中に綴った。

このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。
そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。

満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。
彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない。

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1952年(昭和27年)11月、東京弁護士会での講演における発言

日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。
日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。
自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。
日本よ!日本人は連合国から与えられた《戦犯》の観念を頭から一掃せよ。


管理人注釈:
参考資料:
今もインドで歌われる日本兵を讃える歌
http://www.youtube.com/watch?v=__7fG0aqJDk
インドが親日派(・・・?っぽいですね?)というのは、全く知りませんでした。
全く教えられていませんね、日本・・。

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朴鉄柱
韓国人。
大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。
住吉神社に奉職。
終戦後、韓国に帰国。
李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられた。
1954年(昭和29年)韓日文化研究所を設立。1990年逝去。

「日韓共鳴二千年史」(名越二荒之助編著)より
1967年(昭和42年)に訪韓した名越二荒之助に語った言葉


現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。
最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。
“事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが、開戦時の心境であった。
それは日本の武士道の発露であった。

日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争――この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。

(中略)大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦争に敗れて戦争目的を達成した。
日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、“聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復できたではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇対象となるのである。


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ラジャー・ダト・ノンチック
マレーシア人。
南方特別留学生として日本で学び、戦後独立運動に参加。
元上院・下院議員。
1994年逝去。

「日本人よありがとう マレーシアはこうして独立した ラジャー・ダト・ノンチックの半生記」(土生良樹)より

かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアのどの国の誰にでも
自分のことのように 一生懸命つくしてくれた

何千万人もの 人のなかには 少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は
そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて
おおらかで まじめで 希望に満ち明るかった

戦後の日本人は 自分たち日本人のことを
悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
まじめに 自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残虐無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ

だからアジアの国に行ったら ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと 言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの 自分本位の えらそうな態度をする
そんな 今の日本人が 心配だ

本当に どうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っているわたしたちは
今は いつも 歯がゆくて くやしい思いがする

自分のことや 自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと 身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを さげすんだ眼でみたり バカにする

こんな ひとたちと 本当に仲よくしてゆけるだろうか
どうして どうして日本人は こんなになってしまったんだ

1989年4月 クアラルンプールにて

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「日本人よありがとう マレーシアはこうして独立した ラジャー・ダト・ノンチックの半生記」(土生良樹)より

私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。
日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。
永い間眠っていた(自分たちの祖国を自分たちの国にしよう)という心を目覚めさせてくれたのです。
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。
敗れて逃げてゆく、イギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。
しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来それぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。


管理人注釈:
「今」の日本のことを如実にいますね。(最初のやつ)
コレはいつ頃に言ったものか詳しくは分かりませんが、
ご逝去されたのが「1994年」ですから・・
それより前と考えると、バブル~バブル崩壊の頃かな(^-^;)
2011年の今は、その頃に比べると、ずっと 悪くなっていっている一方です。
かつての素晴らしい、誇らしい民族性が喪われつつあります。
小泉八雲の言う、神々の顔を知っていた頃 に戻りたいものですね・・。
(戻れる、戻れない、は置いといて・・・。「戻りたい」という意思表明を一応・・)

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オットー・カロン
ドイツ人。
ボン大学教授。

「天皇の真実」(河内正臣)より
1950年(昭和25年)のカロンの言葉


ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。
私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。
殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。
だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。
しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。

ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。
天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。
しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。
陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。

平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。
それでも暗殺される王様や大統領がある。
それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。
国民を慰める。
何という命知らずの大胆なやり方であろうか。
いつどこで殺されるか。
こう思って映画を見ていた。

しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。
こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。
われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。

(引用者注:昭和天皇の御巡幸は昭和21年から29年まで続き、沖縄をのぞく、全都道府県をまわられた。
お立ち寄り箇所は1411カ所に及んだ)


管理人注釈:
途中で水を差すようですが、、、
日本をこんなに買っているのは、一部の、所謂ところの「インテリ層」であって、一般市民(特に2000年以前ぐらいまでは)は、日本を「買う」以前に、日本という単語を知らない、中国の属国だと思っている、など、「日本」に対する極端な知識の欠乏が見られました。
(帰国子女はみんな知っている。でもそんなこと言ったところで信じてもらえないからあえて言わない)
批判されるより何より、「そんな国知らない。中国の属国でしょ?」「ハッピ着てるんんだよね」「女はみんなゲイシャになるんだっけ」などという、「どうでもいいから興味もない」し、「知識だってない」状態が一番悲しいですね。

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アリフィン・ベイ
インドネシア人。
政治学者。
ナショナル大学日本研究センター所長。

「魂を失った日本」(1976年発行)より

日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した日本の精神的、技術的面との出会いであった。
日本が戦争に負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。
この遺産が第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動にとって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。
日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は、アジア諸国に高く評価されているのである。
その一つに、東南アジアの教育に与えた影響があげられる。

(中略)(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければならないかということを我々に教えたのであった。
この必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に役立ったのである。


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ジョージ・S・カナへレ
アメリカ人。
政治学者。
ハワイ・日本経済協議会事務局長。

「日本軍政とインドネシア独立」(1977年発行)より

日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の訓練の中で、最も重要なものの一つは、インドネシアに正規軍及び準軍事組織を創設して、それに訓練を与えた事であろう。
この作業は、特にジャワ、バリ及びスマトラの各島で推し進められた。
後に、インドネシア独立軍の将校や下士官となった者達は、殆ど全て、及び何万と言う兵士達は、この訓練を経て、軍事技術を身に付け、日本の敗戦後に戻ってきたオランダ軍を相手に、独立戦争を戦ったのであった。
もし、この訓練が無かったなら、そして日本の降伏後、インドネシア人の手に入った日本軍の武器や軍需資材が無かったなら、インドネシア独立戦争の行方は違った方向に進んでいたかも知れない。
こうして、日本の占領は、インドネシアの民族主義勢力を、権力の戸口まで導いた。

(中略)(インドネシアの)民族主義者にとって、日本の占領時代は、独立への、単なる序曲以上のものであったかも知れない。


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ラジャー・ダト・ノンチック
マレーシア人。
南方特別留学生として日本で学び、戦後独立運動に参加。
元上院・下院議員。
1994年逝去。

2003年3月、大阪府・堺市における伊藤哲夫(日本政策研究センター所長・教科書改善連絡協議会運営委員長)の講演で紹介されたノンチックの言葉

「先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、
『日本軍はマレー人を虐殺したに違いない、その事実を調べに来たのだ』
と言っていました。
私は驚きました。
『日本軍はマレー人を一人も殺していません』
と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。
そして日本の将兵も血を流しました。

どうしてこのように、今の日本人は、自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。
これは本当に残念なことです」


管理人注釈:
上の方にも一度出てきています。>ラジャー・ダト・ノンチック氏。
下から目線のありきたりな日本賛美をするでもなく、上から目線の日本批判をするでもなく、いいところも悪いところも、ハッキリと歯に衣着せぬ言い方をしています。
これはどういうことかと言うと、表面つらを見てテキトウに言っているのではなく、深く深くちゃんと見ている、ということの裏返しです。
自国のことでもないのに、こんなに真正面から見てくれる人(国?)がいるというのは素晴らしいことだと思います。
だって普通、どうでもいいですからね。どうでもいい国なんて。

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アラムシャ陸軍中将
インドネシア人。
インドネシア大統領特使として1993年(平成5年)7月、来日。

「祖国と青年」1994年2月号『アラムシャ陸軍中将の大東亜戦争肯定論』(中島慎三郎)より

平成5年7月、インドネシアのアラムシャ陸軍中将は大統領特使として来日しました。
その時福田元首相や塩川自治大臣(当時)などと会見し、大東亜戦争について
「大東亜戦争が長引いたばかりに労務問題などで、ご迷惑おかけしました。」
と述べると
「とんでもない。
むしろ大東亜戦争を途中でやめたことが残念であったと思ってる。
あと5年はやるべきであった。
これは私だけの意見ではない。
アフリカに行けば、みんなから聞く意見だ。
中東に行けばみんなから聞く意見だ。」
「どういうことですか?」
「なぜアフリカがあんな状態なのか。
我々と同じく40数年前に独立すべきであったがそうできなかったからだ。
あそこ はオランダ人とイギリス人とユダヤ人が握っているから、どうしようもない。
もし日本があと5年大東亜戦争を続けていたならば恐らく中東まで進出していただろうから、中東諸国ももっと早く独立できたであろうし、日本軍の大変な勢いがアフリカにも伝わって、アフリカ諸国もインドネシアのようにもっと早く独立できただろう。
そうすれば、南アフリカも現在のように苦しまずに済んだはずなのだ」
とアラムシャ陸軍中将は語りました。


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W・リム
シンガポール人。
大学教授。

「中央公論」1998年5月号「アジアの知識人は日本をどう見る」より

日本は西洋的なやり方でなく、独自のやり方で近代化を成し遂げた国であることを認識すべきです。
だがアジア諸国はこのことを認識していない。
日本がそれについて話をしないからです。


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ノーマン・メイラー
アメリカ人。
作家。

「プレイボーイ」日本版1999年10月号より
中国系アメリカ人作家アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」がベストセラーになった理由について


アメリカ人にはヒロシマに関して深い罪の意識がある。
だから日本人が1937年に南京で中国人にひどいことをしたと耳にすると、ほっと安堵するのだ。
それにしてもこれまで南京虐殺なんて聞いたこともなかった。
少なくともこの50年間は。それがいま突然話題になった。

(中略)まあ、日本に対する敵意というのは確かにある。
いや、多くのアメリカ人は反日的なものを見たいのかもしれない。
次の世代はアジアが支配するのではないかという恐怖心が隠されているからだ。


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蔡焜燦
台湾人。
実業家。
少年兵募集に応募し1945年(昭和20年)1月、少年航空兵として陸軍航空学校に入校。
司馬遼太郎「台湾紀行」で“老台北”として登場。

2000年11月30日付産経新聞「産経抄」(石井英夫)より

きのう小欄にJRの運賃誤表示の問題を書いた。
社会のタガがはずれ、モラル連鎖崩壊の“終着駅”はないのかと嘆いたところ、朝、台湾人・蔡焜燦(さいこんさん)さんからわが家に電話がかかってきた。

「いま東京のホテルで産経抄読みました。
モラルの崩壊を止める“終着駅”ありましたよ。
名古屋駅です。
南口で駅員さんに助けられました。
うれしかったので電話してしまいました」
二十六日のことだという。
蔡さん夫妻は上りの新幹線に乗るつもりだった。

スーツケースを数個持っていたので赤帽を探したが、勝手がわからない。
ようやく詰め所を見つけたが人がおらず、列車の時間は迫ってくる。
すると制服の駅員がかけ寄り、重いスーツケースを両手にもって階段をあがってくれた。

礼をいうと、
「いえ、教育が悪くご迷惑をかけてすみませんでした」
と謝ったという。
急いで名前を聞くと改札係員のOさんである。
「ただそれだけのことでしたが、日本人の親切がよくわかりました。
まもなく台湾に帰りますが、鉄道のモラルいまだ滅びず、です」

蔡さんは司馬遼太郎氏の『台湾紀行』に登場する“老台北”である。
先日『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』(小学館文庫)という本を書いて「日本人よ胸を張りなさい」と直言した。
「自国の歴史を正当に評価し、自信と誇りをもって堂々と羽ばたいてほしい」と。

蔡さんは
「台湾に“親日家”はたくさんいますが、私は“愛日家”です」
という。
だが決して“媚(び)日家”ではなく、ずけずけ日本の批判もするし、日本人に注文も出す。
その厳しい愛日家は電話口でうれしそうに名古屋駅をほめた。
こちらもうれしくなった。


管理人注釈:
私はかねてより不思議に思っていたのです。
名古屋にお住みの方々って、「名古屋を"すごく"愛してい」ると。

でも、愛国家、的な、「オレんとこサイコー!」みたいなノリではなく、
名古屋市民として「誇り」を持っている系の。
だから、名古屋を誇るだけなく、同じくらい名古屋をけなすし・・・。
良い所も、悪い所も、どっちも認め、受け止めてるのですね。
そこに、「名古屋市民」としての誇りを感じます。
どの地域に住んでいようと、無関心、我れ関せずな日本人が多い中、名古屋市民のこの名古屋好き好きっぷりは素晴らしいと思います。(※私は千葉県民)
でも、だからといって、閉鎖的な風ではないんですよね。
純粋に、今の日本人にちょっとでも必要な「愛国心」的な要素がすごく良い意味で名古屋の人に感じられるのです。
こんなに市民から愛される「名古屋」。
きっと風水?的に何かあるんじゃないと思います。
パワーとか何か、自然的なものだとかスピリチュアルなものっぽいのが絶対あるって確信しています。
まぁ話は逸れましたが、
名古屋の人が、このエントリーを読んでくれたらとても嬉しいなと
ふと思ったのであえて管理人注釈を入れました。
ぺこり。

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氏名不詳
インド人。
地下鉄公団総裁。

「とてつもない日本」(麻生太郎)前書きより

平成十七(二〇〇五)年の暮れ、外務大臣としてインドを訪問する機会があった。
首都ニューデリーに滞在中、できたばかりの地下鉄を視察したのだが、この時インドの方々からうかがった話が今でも忘れられない。

この地下鉄視察が日程に組み込まれたのは、日本の政府開発援助(ODA)を使って建設されたものだからであった。
私たちが訪ねた駅には日本とインドの大きな国旗が掲げられており、日本の援助で作られたということが大きな字で書いてあった。
改札口にも大きな円グラフが表示され、「建設費の約七十パーセントが日本の援助である」と分かるように、青で色分けしてあった。
その配慮に感激し、私は地下鉄公団の総裁に御礼の言葉を述べた。

すると、逆にこんなふうな話をしながら、改めて感謝されたのである。

――自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の八時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた。
我々インドの技術者は、全員揃うのにそれから十分以上かかった。
日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた。
自分が全員揃ったと報告すると
「八時集合ということは八時から作業ができるようにするのが当たり前だ」
といわれた。

悔しいので翌日七時四十五分に行ったら、日本人はもう全員揃っていた。
以後このプロジェクトが終わるまで、日本人が常に言っていたのが「納期」という言葉だった。
決められた工程通り終えられるよう、一日も遅れてはならないと徹底的に説明された。

いつのまにか我々も「ノーキ」という言葉を使うようになった。
これだけ大きなプロジェクトが予定より二か月半も早く完成した。
もちろん、そんなことはインドで初めてのことだ。
翌日からは、今度は運行担当の人がやってきた。
彼らが手にしていたのはストップウォッチ。
これで地下鉄を時間通りに運行するよう言われた。
秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けた。
その結果、数時間遅れも日常茶飯事であるインドの公共交通機関の中で、地下鉄だけが数分の誤差で正確に運行されている。
これは凄いことだ。

我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない。
むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ。
労働に関する自分たちの価値観が根底から覆された。
日本の文化そのものが最大のプレゼントだった。
今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバサダー(最高の大使)」と呼んでいる――。

私はこの話にいたく感銘を受けた。

地下鉄建設に携わった日本人技術者たちの仕事ぶりそのものが、優れた外交官の役割を果たしたのである。
彼らはなにも、よそ行きのやり方をやって見せたわけではない。
いつものように、日本で普通に行なっているスタイルで仕事をしたに過ぎない。
しかしそれが、インドの人々には「価値観が覆るほどの衝撃」だったのだ。


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その2に続く。



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